金村修「Public Damage」 | IG Photo Gallery

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金村修「Public Damage」

¥10,000 税込

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396mm×276mm、1ページ
エディション20、販売部数5
作家自身が手作りで制作した作品、
内容は各部ごとにすべて異なります。
現物を見てから購入されたい方は、メールにてご予約のうえ、ギャラリーにお越しください。
裏面に、サイン入り


わたしの白黒写真はソリッドでカッコイイと言われますが、それはやはりフレーミングがシャープだから、そう見えると思うのです。写っている被写体がカッコイイというよりも、フレーミングの力ですね。今回作ったPublic Damageという作品は白黒写真のシャープなカッコよさとは違って、フレームにものが収まり切れない、フレームからものが崩れていく感じがするというのでしょうか、フレーミングで構成されるのとは違うアプローチです。今までだったらセレクトのときに落としたような、作品にならないよう写真を使っていますし、それはリサイクルと言ってもいいのかもしれない。マルグリット・デュラスが「インディア・ソング」の音声を丸々使って、別の映像と合わせて「ベネチア時代の彼女の名前」を作りました。それはリサイクルの発想です。同じ音声だとすぐに分かるのですが、まるで別の音声のように聞こえた。映像や音声は、組み合わせを変えることで無限に見え方や聞こえ方を変化させることができます。その意味では、リサイクルされたことでライブ性という一回性を複製芸術としての映像の中に成立させることができたのかもしれません。
これらPublic Damageは一見コラージュ作品のようです。しかしコラージュがフレームの中に収まることが前提として作られているのに対して、Public Damageは、フレームに収まるというバランスの良さからは随分と遠いところにあると思うのです。私の白黒写真はトリミングができないぐらいにフレーミングが厳密であると思うのですが、Public Damageは、むしろフレーミングを意識しない作り方で、無駄の集積のような作品ではないかと思うのです。Public Damageには完成があり得ないし、制作途中のように見える。それはこの作品が、ライブ性が強くて完成という終わりをどこかで放棄しているからでしょう。私が都会を撮り続けているのは、都会は常に建設途中な場所だからで、都会には建設の終わりというゴールが存在しない。特に東京の街に言えることですが、写真のフレームの中に収まり難いのは、完成形としての街のイメージがそこに存在していないからです。
フレームに収まることを拒否しているかのような東京の街を捉えるには、このような収まりの悪い無駄の集積のような作品がとても合うのではと思います。フレームからはみ出ること。白黒写真が被写体からものを削ぎ落とししていくのに対して、Public Damageは増植です。そして増幅には、何故それが増幅されるのかという意味や理由が存在しない。資本の目的が、資本の増幅を唯一の目的にしているように、Public Damageも意味もなくそれ自体が増幅することが目的です。
Public Damageがゴミ屋敷のゴミと違うのは、ゴミ屋敷のゴミがそこに住んでいる当人にとってはゴミではなく、むしろ自分の分身であり、自分の存在と強く繋がっているのに対して、Public Damageは自分とはもちろんのこと、構成されている個々の写真同士にも関連性がない。むしろ関連性を切断することで成り立っている作品であり、有機的関連性、統一性を排除した、非有機的な構成です。それは七十年代のブライアン・イーノがシンセサイザーの接続コードを繋ぎ方もよく分からないまま繋げて出したあの音のイメージに近いです。それが何故そこに組み合わされているのか分からない。滅茶苦茶に繋がれたシンセサイザーの接続コードのようにそこからどんな音が出るのか分からない。作っている本人が、どんなものができるのか分からないものを作る。そんな感じの作品です。

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